暖かな1日でした
2月2日、父が永眠いたしました。
ここしばらく暖かい日が続いていましたが、
この日はとても寒い日でした。
去年7月末に肺炎を起こし、それまでお世話になっていた施設より
病院に移り半年。
「今夜が、やまかも知れません」と主治医から言われること三回
その度に覚悟はしたものの父は頑張って持ち直してくれました。
年を越すのは難しいとも言われました。
亡くなった日とは打って変わり、とても暖かな今日、斎場で父を送りました。
父の最期の顔は、微笑んでいました。
私と父は、あまり良い親子関係とは言えませんでした。
父への反発から、かなり早い時期に家を出て一人暮らしをしていました。
その後、結婚、出産を期に実家に帰ることも多くなり
父も娘達を父なりに可愛がってくれていました。
それでも、私は父との間の隔たりを完全に無くすことは出来なかったけれど。
危ないと言われながら、その度に頑張って復活してきた父
今は、悲しいというより「お疲れさま」と言う気持ちです。
そして、父が無くなった2月2日は
8年前に亡くなった母の誕生日でした。
ここしばらく暖かい日が続いていましたが、
この日はとても寒い日でした。
去年7月末に肺炎を起こし、それまでお世話になっていた施設より
病院に移り半年。
「今夜が、やまかも知れません」と主治医から言われること三回
その度に覚悟はしたものの父は頑張って持ち直してくれました。
年を越すのは難しいとも言われました。
亡くなった日とは打って変わり、とても暖かな今日、斎場で父を送りました。
父の最期の顔は、微笑んでいました。
私と父は、あまり良い親子関係とは言えませんでした。
父への反発から、かなり早い時期に家を出て一人暮らしをしていました。
その後、結婚、出産を期に実家に帰ることも多くなり
父も娘達を父なりに可愛がってくれていました。
それでも、私は父との間の隔たりを完全に無くすことは出来なかったけれど。
危ないと言われながら、その度に頑張って復活してきた父
今は、悲しいというより「お疲れさま」と言う気持ちです。
そして、父が無くなった2月2日は
8年前に亡くなった母の誕生日でした。
by ponnyanko
| 2007-02-04 22:33
| 日々あれこれ